子供のころから色々な物を作ってきた。中学生の頃には破材でエレキギターを作った。結局鳴らなかったけれども、雰囲気だけは味わえた。

その延長で高校生の頃にはエレキギターのアンプやエフェクターを作ったりもした。エフェクターは(やはり)機能しなかったが達成感があった。

他にもパンクなアクセサリーやギターのピック、友達のプレゼントに木彫りのキーホルダー(もらった側は迷惑だったろうに)など数多くの物を作った。

これらは皆、無いものは作ろうという発想のもとに出来上がった物達だったと思う。

そして私モトタケのものづくりの原点ともいえるのが小学生の頃に作った【ヌンチャク】である。

忘れられない出来事だ。家の前でたまたま居合わせた近所のお兄さん達(中高生)が、ヌンチャク一緒に作るか? 

と誘ってくれたのだ。1981年だったと思う。

大興奮であった。なぜならその前夜にはテレビでブルース・リーの【死亡遊戯】が初放映され、初めてヌンチャクのアクションを見たからだ。

シボーユーギという謎のタイトル、超人的なアクション、すでに亡くなっているらしいアクションスター、最後の十数分しか本人は出ていないという映画。すべてが謎で、衝撃的な作品だった(この辺りの話は別サイトでも書きましたのでご参照下さいhttps://tenro-in.com/mediagp/253931/)。

昭和の時代にまだ雑貨屋も少なく、ましてやヌンチャクなど売っていなかった頃だ。

小学生の私にはヌンチャクを作るという発想にまず驚き、モップやほうきの柄の部分をノコギリで切り落とし始めたお兄さんたちの行動に度肝を抜かれた。二本の棒にロープを釘で打ち付け、仕上げに黒のビニールテープを巻き付けて完成した!

おおっ! これはまさにブルース・リーのヌンチャクではないか! すごいぞ!

お兄さん達が私にも材料をわけてくれて自分のヌンチャクができた。ブルース・リーのように振ってみると意外なほどに重たくて、身体にあたるたびに硬くて痛くて、頭にもあたった。しまいにロープがぬけて片方の棒は彼方へと飛んで行ってしまった。家に持ち帰ると母親に没収され廃棄された。

その後も素材を変え、改良を重ねて何本もヌンチャクを作った。最終的に一番使いやすくて安全だったのは、プラスチック製のなわとびを使った物だった。なわとびの紐を短くするだけで耐久性もある【なんちゃってヌンチャク】ができた。持ち手の部分をプラモデルのパテで覆い、黄色の塗料で塗ると死亡遊戯のヌンチャクが完成した。

既製品ではない自分だけの作品に味わいを感じた。今でもその時の想いは胸の中に残っているように感じる。そしてその想いはその後のどんな喜びとも違う感覚の様な気がする。

今では格闘系のスポーツ用品店などでも手軽にラバー製のヌンチャクを手に入れる事ができる。二本の棒を紐や鎖でつないだだけの物だが何故かいまだに私には特別な光を放って見えるのだった。